「おとなり滋賀へ遠征するの巻」第157回サルシカ隊がいく

投稿日: 2012年10月17日(水)11:30


写真/写真師マツバラ(松原 豊) ※写真師が写っている写真はエネオス稲ちゃん  文/隊長オクダ

サルシカの隊長であり、その運営NPO法人の代表でもあるワタクシは、時おり講演の依頼を受けることがある。
情報発信についてであったり、地域活性化の取り組みであったりの話を1時間ばかりやってね、というものだ。
ワタクシがぐだぐだ話すことが世間のみなさまに役立つとは思えないが、まあ来てくれという要望もあることだし、サルシカを見てくれる人がひとりでも増えるのならばと、基本的に引き受けさせていただいている。

が、今回は、ワタクシだけでなく、愉快なサルシカの仲間もいっしょにお願いします、という依頼だった。
楽しい田舎暮らしを満喫している人、情報発信に携わる人、出来れば奥田さんと同じ地域に暮らす人で誰かいい人いませんか、と。

いました、残念ながら(笑)。
写真師マツバラ。

というわけで、あろうことか、写真師マツバラと隊長オクダのふたりで講演を引き受させていただくことになった。
場所は滋賀県彦根市鳥居本という古い宿場町。
そのお祭りのイベントのひとつとして、ワレワレが壇上に出るのだ。

ふだんだらしなく酒を呑み、鼻笛をぴーぴー吹いて盛り上がっているワレワレにちゃんとした話なんぞ出来るのであろうか。
滋賀の人に石つぶてを投げられることになりはしないか。

不安いっぱいのまま当日を迎えたのである。

前日、ワタクシは名古屋で会食があり、名古屋から新幹線で米原、そこからJRに乗って彦根へ。
写真師は前日に九州から大阪に入り、そのまま三重に戻らず彦根に入っていた。
そして当日の記録係を申し出てくれたエネオス稲ちゃんは、三重から車で乗り込むことに。

三重県津市美里町の3人が滋賀で結集するのである。

ワタクシは二日酔い気味、写真師は疲労気味(笑)。
が、三重県およびサルシカのパワーを滋賀の人たちに見せつけるためにもゲンキにいかねばならぬのだ。
さあさあ、行こうではないか!!

近江鉄道の鳥居本駅。
かわいくレトロなこの駅は昭和3年に開業。
最近、国の有形文化財に指定されたらしい。

写真師とワタクシは、この駅から町歩きをスタートさせた。
この日は、「とりいもと宿まつり」の開催日。
講演は午後からであったが、そのまえにぜひ鳥居本宿を見ておいてもらいたいと主催者からのオーダーもあり、せっかくなので取材しちゃうことにしたのだ。

鳥居本宿。
中山道六十九次の内江戸から六十三番目の宿場で、いまなお古い町並みが残る。
こちらの名産は3つの赤。
当時の旅の必需品だった胃腸薬『赤玉神教丸』、天候のよく荒れた木曾へと向かう旅人が買い求めた赤い雨合羽、そして彦根へ出荷された西瓜。
この赤をうまく使って、街角を飾る。
いい演出である。

普段この街道には、営業している飲食店もなく、道行く人は本当にまばらという話である。
この日は台風17号の影響で、10時のまつり開催と同時に雨粒が落ちてきたが、道筋は結構なにぎわい。
民家が開放されて古物の博物館になっていたり、また喫茶店になっていたりした。

「とりいもと宿まつり」は今年で5回目。
このまつりを企画し、運営しているのが、「鳥居本お宝発見隊」という地域活性化グループ。
鳥居本に暮らす人びとに地域の魅力を再認識してもらい、そして交流を深めるのが大きな目的らしい。

みんなの意見をまとめ、ここまで来るのは大変だったという声を聞いた。
わずか1日かも知れないが、むかしの宿場町の賑わいを取り戻す。
これは地域に暮らすものの足並みと気持ちが揃わないと出来ないことだ。

こちらは「成宮家住宅」。
中山道に面する間口6間、奥行20間の伝統的町家造り。
当主が「鳥居本お宝発見隊」の主旨に賛同して改装、こういったイベント時に一般開放している。
築100年を越える立派な住宅だ。

当主みずからコツコツと手入れをしてきたらしい。
同じ古民家に暮らす写真師とワタクシは、「おおおおおおおお!」「ひゃああああああ」と声をあげて見て回る。
すばらしい!!

シカやイノシシの獣害に悩むのは、滋賀も三重も同じ。
シカ肉を使ったジビエカレーの販売もあった。
写真師とワタクシは、お昼ごはんにこのカレーをいただく。

そして地元の木材を使った商品の開発、販売も。
なんとワタクシの顔をモデルにしたハンコの制作も!!
このサンプルはお土産にいただいた。
いま名刺の裏に押して使わせていただいている(笑)。

この鳥居本のお宝。
それは何よりこの歴史ある街並みであろう。
しかし、もうひとつすばらしいものがある。
それはこの地に暮らすみなさんのつながり、そして地元をなんとかしたいという熱い思い、そして笑顔だ。

そして午後。
台風17号の本土上陸と共にワタクシたちの講演がはじまった。
主に情報発信の重要性、そしてワタクシたちサルシカがどのように発信を続けてきたかの話をさせていただいた。

写真師マツバラは途中まで講演の様子を撮影しつつ、そして写真による情報発信について話してくれた。
なんともへんてこな、ワタクシたちらしいスタイルである(笑)。

もはや暴風雨で参加者は少なかったけれど、その分、公演後の座談会は膝を突き合わせて濃厚なお話ができた。

しかし、みなさんの取り組みを見せてもらって、そしてお話もさせてもらって、
実は勉強させてもらったのはワタクシたちではなかったかと思う。

地域のお宝がなにか?
その地に暮らす誰もがわかっているようで、実はそれに気づいていない。
その魅力をどう活かすか、人に伝えるか。
それを実行するためには、まず地元の人こそが地元を知らねばならない・・・。

そんなことを今回、改めて思い知らされた。

その日、本当は懇親会にワレワレも参加させていただき、ざっくばらんにもっともっとみなさんとお話させていただく予定であった。
が、台風が三重を直撃し、ワレワレが暮らす美里でもかなりの被害が出ているとの情報が入り、暴風雨の中、三重へ戻ることにした。

新名神は早々に通行止めになり、一般道へと逃げたが、それも次々に通行止め。
仕方なくファミレスで休み、あげくにはスーパー銭湯に入って身体を温め、台風が過ぎ去った夜の11時に美里に帰り着いた。

台風の被害は、なぜか滋賀へ行っていた3人のところが特別にひどかった。
エネオス稲ちゃんのスタンドは店の中まで浸水。
写真師マツバラ宅は、仕事場&倉庫に浸水。
そしてワタクシの家も川となった道から水が流れ込み、床下浸水と敷地の陥没。

しかし何より。
被害を受けて大変だった時に、揃って家にいなかったワレワレ3人に対しての家族の冷たい視線が心に突き刺さる。
地域振興のまえに、台風の被害の復興のまえに、家族の信頼を取り戻すのが、写真師マツバラ、エネオス稲ちゃん、そしてワタクシのミッションである(笑)。

リンク:鳥居本お宝発見隊